好きにさせてよ。

好きにさせてよ。

偏食な趣味を、つらつら綴る。字圧強め文字のブルドーザー。可愛い連中/モーニング娘。など

茎 依存するように同じCDを聴き続けた日

f:id:tsukino25:20190306074408p:plain


高校生の途中くらいまで、カラオケと友達からかTSUTAYAで借りたCDとテレビ番組、それくらいしか私の「音楽」という世界はなかった。

「流行っているね」「聞いたことある」「私も好き」、この3つが言えれば「趣味:音楽鑑賞」と書いてOK、くらいの世界。わざわざ中古のCDを買いに行く人や、テレビのランキングにいないバンドにのめりこむ人、周りにいないわけでもなかったけど、「私と違う人」どまり。それが私の「音楽」。

 

ある日偶然入った近所の古本屋で、突然気になるアーティストが現れた。

大学受験が差し迫った頃だった。真面目な高校の雰囲気になじめていないくせに、高卒で就職しますとは言えずだらだらと過ごす毎日。とりあえず勉強している感だけ出したけど、劣等生すぎて予備校行くのも恥ずかしいし、クラスメイトに質問したら「なんでそんな小学生みたいなことも知らないの」と思われそうで嫌だし。そんな気分のせいでだんだん高校も休み始めた、出席日数が首の皮一枚で留年を免れていた頃。

 

友達から、名前を聞いてそのアーティストは知っていた。最初は誰だと思っていたけど、思い出してみればこの人は、何年か前に看護師の姿でガラスを蹴破っていた人だ。それはさすがに衝撃的な画だったので私の狭い「音楽」知識でも知っていた。今は東京事変という名前で音楽しているとか、誰誰が軽音楽部でコピーしていたとか、その程度の知識。

 

どうにもこうにも、目を離せない。なんだ、このCDジャケット。

あるCDは、人工的で無機質さのある若草色に、よくわからないペンキが落ちている。裏返すと、不敵な笑みを浮かべる「嫌な大人風」のおじさんが意味不明な言葉を書いた紙を掲げている。その後ろに、何の感情を抱いているかよく読めない顔で私を見つめるカメラマンの女性。

あるCDは、小学生の女の子の持ち物のようなショッキングピンクがベタ塗りされたようなジャケットだった。箱から歌詞カードを取り出せば、縦ロールの女性が花をバッグに笑っている。可愛いと言えば可愛いけど、なぜか背筋が張り詰める思いがする。ただのロリータファッションの女性ではないことだけは察することができた。

 

カメラマン、縦ロールのロリータ、看護師、すべて椎名林檎という同一人物の女性だということは、CDのクレジットをちゃんと見るまで気付かなかった。

 

この2枚を買うかどうか、ひたすらに考え込んだ。これを買いたくて来たはずではないのに、どういう訳だか買わないといけないような気分になってしまっていた。直感を信じた。

 

これはとんでもない買い物をしたと気づいた。

 

一貫して、この作品は彼女の秩序にまみれている。

舞台装置のように統一感を持った語彙、冷たい視線と弱音の軋みを感じる歌い方、「ありがち」という言葉とは乖離したメロディライン。歌詞は理解できる部分のほうが少ないかもしれない。「共感」とか「等身大」という言葉をなんとなく近づけることができない。それなのに、切迫した声が、己の道を突っ走った音が、なぜか心の奥にずしんと重く残るし、耳から離れてくれないフレーズばかりなのである。

JR新宿駅の東口なんて行ったこともないし、セヴンスターがどんな香りなのか想像もつかない。私の知らない世界の言葉ばかりが散らばっているこの世界に、当時の私は深く、深く沈んでしまった。

 

やさぐれた気持ちで参考書を開きながら、いつも「無罪モラトリアム」と「勝訴ストリップ」を聞いた。どう考えても参考書がおまけで、CDがメインだった。今日はどっちから聴くと決めて、最後までたどり着けば最初の曲に、ということを繰り返した。おかげで、「モルヒネ」の「次の曲」は「正しい街」だし、「依存症」の「次の曲」は「虚言症」なのである。

最早、同じ屋根の下で暮らす家族のほうが聞き飽きていたに違いない。「あんたの好きな音楽は暗い」と母親に言われたのは、間違いなくこの時期だ。

 

その後、東京事変名義も含めて他の作品にも出会った。彼女が確固たるアーティストとしての立場を築きあげた理由には合点がいくし、常に進化することを辞めない、気高くて強い人なのだと尊敬している。

なんだけれども、どうしてもこの時期の椎名林檎作品から脱却できない私がいることも事実なのである。頭ではわかっていても、とはまさにこのこと、もはや病気のようだ。

 

このCDに出会って以降、「流行りの歌」がどうでもよくなった。鋭い刃のように刺す言葉が私には優しく聞こえるのはどうしてなのかを知りたくて、何度も何度も歌詞カードを読んだ。あのCDとの出会いは、私の生き方の、嗜好の、価値観の芯になった。

「私」は初めて椎名林檎によって生まれたと言ったら、「暗い歌」呼ばわりした本当の母親が泣くだろうか。

そんなわけで、椎名林檎本人が変化を遂げるスピードに私はまるで追い付けない。最初に受けた衝動が大きくて、まだそれを自分が飲み込み切れていないような気がしてならない。

彼女の音楽活動が世に普及して20年ほど経つが、その功績を私がすべて飲み込むには、おそらく人生が何年あっても足りない。せめて、私が後で生まれてよかった。私が先におばあちゃんになってしまったら、咀嚼しきれないものを山ほど残して息絶えるという恐ろしいことになっていた。

 

新品のCDを買うつもりだったのに、結局あのときの中古CDを売れないでいる。


椎名林檎 - ギブス

 

 

tsukino25.hatenablog.com

tsukino25.hatenablog.com

 

 

 

無罪モラトリアム

勝訴ストリップ

バンドスコア

下剋上エクスタシー

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村