女 平凡な私にギャルをインストールした日
とにかく新しいことが苦手である。飲食店では「いつもの」が大体決まっているし、箪笥は無難な白と黒と茶色だとかベージュだとかがぎゅうぎゅうに詰まっている。
時々、店の隠れメニューを頼んで当たりだった人がうらやましくなる気持ちもわくけど、モブキャラみたいな目立たない格好をした私は「変わり種なんて失敗のほうが多いんだし」と思ってそれを横目にやり過ごしている。あまりにつまらない保守的な人生を歩んでいる。
普段見ない時間にテレビをつけた。こういうタイミングで出会うことを人は「運命」と呼ぶのかもしれない。
見知らぬ金髪の女の子は、あまりにあっけらかんとした話し方であった。泥酔して便器に顔をつけたまま寝てしまい、顔がブルーレットの色に染まったことを、軽快に笑いながら話していた。
保守警報が鳴り響く。私とは明らかに違う人間だ、と警戒している。金髪にピンクのワンピースを着たその子は、ガールズバーにいただの、バカヤロークズヤローという歌詞を書いただの、とかく私とは離れた世界の話をしていた。いつもなら、そこでテレビの電源を切っていたっておかしくなかった。
けれど、なんとなくその番組を見続けた。他にも出演者がたくさんいる中で、その子の様子だけを観察していた。
その子と私を因数分解することのできる共通項は、おそらくない。
化粧品で言うなら、クリスチャンルブタンとちふれくらいの差がある。女性として、同世代として、生きてきた軌跡がまるで違う。感覚的にそう判断した。それでも、なぜかその子が気になって仕方ない。言葉の選び方が、えらく見た目と違うのだ。破天荒なキャラで売り出したいギャルの風貌をしているのに、話し方が、佇まいが、たおやかなのだ。
そういえば、歌詞と言っていた。この人は歌を歌っているらしい。
新しい音楽を聴くこともなくなっていた。知らない音楽のために動画サイトを延々徘徊することも数年前の出来事だった。テレビ番組が終わるや否や、私は「知らない音楽を聴くため」という久しぶりの動機のために動画サイトにアクセスした。
一番上のサムネイルの中に、先ほどまで観察し続けた女の子がいた。
曲を聴いてもなお、その子を一言では説明しきれない状態だった。
テレビ同様、ギャルが好き放題に歌っているようにも思える。それなのに、惚れた男を「つばめ」扱いしたり、「誤解」を「素敵」という言葉で飾ったりする。
喉が焼けるほど甘ったるいお酒を飲んでいたはずなのに、いつの間にか苦みがよく出たコーヒーにでも変わっていたのだろうか。それくらいの錯覚というか、落差があった。
新しいこと嫌いはどこへやら。いつしか、関連動画を漁る日が続いた。毎日毎日、もう普通だったら嫌になるだろうというくらいに聴いた。ああ、「無罪モラトリアム」と「勝訴ストリップ」を買ったときもこんな状態になったな、と思い出した。
今までのCDも全部買った。知らない土地までライブにも行った。こんなに燃料を使ったのは何歳の頃以来だろう。
日にちが経ってから、やっと少しずつ言葉にできるようになった。
あの日見た理姫という女の子が、なぜこんなにも私の中にするりと入りこんできたのか。
まるで私と違う人だなと今でも思う。私はホステスにはとても見えないし、つばめ君なんてできたことも今後できることもないし。
なんだけど、理姫さんが描く「女」という生き物に、いつもぞくぞくする。
たぶん俗っぽい呼び方ならば、ギャルとか、メンヘラとか、そういう「女」の姿を描いている歌詞なのに、本質としての「女」、生き物としての「女」がいる。ファッションのように着飾る歌詞ではなく、血と温度を持って生きているような気がする。
そんなわけで、彼女が日々アーティストとしてアップデートを続けるのを、ひたすら受信しようとしている。
新しいものを手に入れたくても手に入れられずに斜に構えている奴ら、今に見てろ。私の選択は間違ってないから。
コンサバティブ
プリチー
DANGEROUSくノ一
凛々フルーツ
エロティシズム