好きにさせてよ。

好きにさせてよ。

偏食な趣味を、つらつら綴る。字圧強め文字のブルドーザー。可愛い連中/モーニング娘。など

サヨナカイツカ―幸せな誤解をありがとう

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箱のない音楽たち

 

Mr FANCY

 

Mr FANCY

Mr FANCY

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どこか異世界にトリップしてしまうような効果音。*1
淡々とした語り口の歌い出しから、「あたし」を苦しめようとしがみつく過去を振り切るように移ろうメロディー。爆発するサビの「made in Okuwaki」感。*2


「なんてつまらない女なのあたしは!」


こうやって自分自身を厳しく裁くのは、愛する人にも触れない」から。
泥酔を肯定するのは「ちゃんとしたって会えない」から。
あらゆる哀しみの理由は、あなたという存在から生み出される。一見自暴自棄になって制御不能な女の子だけど、本当は誰よりも芯のブレない女の子。

そんな女の子に降りかかる悲劇。
ラブホテル、爽快なエンディング。
そりゃ人生捌けません。



気まぐれな男に翻弄されて、独占欲に自分自身を拘束されて。
理姫さん渾身のドキュメンタリー歌詞は、相変わらず心の底を這う絶望を根こそぎ探り当てます。

なのにどこか隙間があって。現実みたいなのに虚構っぽくて。本当に歌詞がドラマさながら。
その隙間に、私たちは自分の様々な思い出を詰め込んで聞いてしまう。そして、この曲を丸ごと抱えて生きていきたくなる。

理姫さんの言葉が持つ魔性の力が、余すことなく発揮されてます。


ただ、今こうやってピリオドの向こうから曲を眺めてみて。初めて聴いたときと、違う色が見えるような気がする。



「人生、人生、素敵だ」
「君がどっかに生きている」

 


孤独な夜に終電に乗り込んで自己嫌悪し続けた女の子が、満ち足りた気持ちを得られる生涯を送る。そんな移り変わりまで、ちゃんと証明する言葉たち。
人生を賭けて言葉を費やしてくれる理姫さんに、私たちは何もかも救われていたのでしょう。




愛しき実話

 


アカシック」というバンドは、物語みたいだった。

理姫、奥脇達也、黒川絢太、散り散りになった3人がもう一度集まって出来上がった形。
アンバランスな生き様をすり合わせて音楽を作り出す3人に、山田康二郎という、もう1人の生涯が重なる。

どう言葉にしたら良いのか分からないけど、「アカシックっぽいバンド」というのが私は他に思いつかない。

色濃く浮かび上がる存在のボーカル、歌詞。
その存在感に、負けるのではなく、かと言って張り合うのではなく、調和する音楽。演奏。


正面どストレート、目抜き通りを闊歩するように王道ポップ。

誰も知らない日陰の抜け道を彷徨うように、妖しげな音たち。

 

バンドみたいでバンドっぽくない。
なのに、音楽に真摯で、貪欲で。
やっぱりバンドっぽくない。何よりもまず、「アカシック」っぽい。


生活すること、人を愛すこと、幸せになること。
そんな、誰しもが考える生涯の課題に、下手な脚色や誇張のない言葉で向き合い続けた言葉。その言葉を輝かせるために、最上の音を探し続けた楽曲。

そんな4人の音楽は、本当にドラマみたいだった。
そして、その活動のはなむけとして用意された曲。あまりにも主題歌っぽくて、まるで5年前から約束された曲だったと勘違いさえしてしまう。


気づかされる。
アカシックこそ、私たちの現実に必要不可欠な愛しき実話だった。



理姫さんが書く歌詞は、ひとたび意識し始めると呆気に取られてしまうほど内向的だ。
社会が悪いとか、あの女が悪いとか、そんな他者への否定を安易に使わない。

ただ、ひたすら彼女は考える。
幸せってなんだ。愛するってなんだ。愛されるってなんだ。
鋭い眼差しは、私たちが言語化もしていないような心の深奥にまで刺さる。

私たちは、そんな言葉が大好きだった。

同じ恋を体験したわけでもないのに、私たちが苦しくて仕方ないときの心を知ってくれている。

冷たい床の温度も、汗ばむあぜ道の湿っぽい空気も、肌寒い夜に火照る恋も、前に進めず脱ぎたくなったハイヒールの痛みも、理姫さんはいつもわかってくれていた。


理姫さんの部屋のベランダは、私の部屋の窓と繋がってるんじゃないかなとか、思う日さてあった。

私の部屋からヨコハマなんて見えもしないのに。


いつだって理姫さんは、そんな幸せな誤解をたくさんくれた。

 



達也さんのギターは、嫌んなっちゃうなぁと膨らむ憂鬱をものの見事に切り裂いてくれた。
バンビさんのベースは、記憶の奥に沈めたはずの動揺を揺さぶったり、心地よさを与えてくれたりした。
康二郎のドラムは、優しかったり頼もしかったり、私たちが一番欲しい強弱を選んでくれた。

キーボードだって、コーラスだって、愛すべき言葉たちに花を添えるような、美しさも虚しさもぜんぶ詰め込んだ音ばかりだった。




私はこの3分22秒の間ずっと、そんな思いを過らせてしまう。

2019年10月26日、アカシックが過去になった。いつの間にか、私は可愛い連中を追いかける日々を送ってる。

だけど時々、この曲みたいに空を仰ぎたくなる。思い出に無理矢理はめ込んだ箍を外して、感情的になってしまいそうになる。

アカシックは狡い。そして、優しい。
そんなときのために、ちゃんとこの曲を残してくれた。こうやってまた、幸せな誤解をしてる。この誤解は、死ぬまで解除されないといいな。



サブスクになってない曲の歌詞を引用するのは躊躇していたけど、少しだけ。




思いきり泣いたり叫んだり
君をずっと好きでいよう
なんて思いました


私もやっと良い春が迎えられそうです。
アカシックの皆様、本当にありがとうございました。


絶望なんて暇だから


ということで、初志貫徹です。
何を隠そうこの私、アルバムやシングルという箱を持たなかった2曲を遂には書ききれずに時機を逃しておりました。なんということだ。

もう「アカシック」って言葉をブログに書かないって数日前に呟いたところなんですけどね!!発言揺らぎすぎて乾いた笑いしか出ない。

ただ、ただね。
アカシック」の音楽にこれから出逢うどこかの誰かが居ないとは限らないし。そんなとき、こんな役立たずのブログが通り道の一つくらいにはなるかもしれないし。

そんなことを思ったりなんかして、じゃあちゃんとお仕舞いにしよう!とケジメつける必要を感じた結果のこの記事です。
読んで欲しいというよりは、残しておきたいが正解です。


可愛い連中の音源が増えたら、再びそっと参上します。
他のことで時々ブログ更新してるけどね。 ではまた逢う日まで


月野にこ

 

 

 

 

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*1:どうでもいいけどなんでこういうときって「ブラウン管」って言いたくなるんだろうねどう考えても世代の問題だね

*2:敢えて前置詞間違えてますよ