とんでもない女の真っ当な願いを描くドキュメンタリーアルバム
裏切りで始まるアルバム、コンサバティブ
突然ですが問題です。「コンサバティブ」とはどのような意味でしょう。
ヒント1。いわゆるファッションの「コンサバ系」の「コンサバ」のことです。大人OL女子の着回し21daysとかに出てきそうなやつです。
ヒント2。政治でも使われることのある単語らしいです。らしい、ということしか調べてもわかりませんでした。教養というものは大事らしいです。
ヒント3。この現代アートが擬人化したようなCDジャケットのアルバムが「コンサバティブ」というそうです。
正解は「保守的な様、またはそのような人」です。ヒント3が完全にあなたを狂わせたでしょう。どこが保守なんだと。
ジャケットの女性から滲み出ている、保守どころではない刺々しいオーラと冷ややかな視線。
このアルバムは、まるでドキュメンタリー映画のように丹念に同じ女性の有様をとらえ続けます。アルコールの匂いを全身にまといながら最終列車で感情がこみ上げる女性の姿に、堂々巡りをしてしまう私たちの心の葛藤を重ねずにはいられません。「ナマ」の感覚が肌にまとわりつくような言葉の波が押し寄せ、噛り付いて1冊の小説にのめり込んだような瞬間にトリップしてしまいます。さあ、酒を肴にこのアルバムを聴け。
アカシックって?という方はこちらもどうぞ。
(注)
このブログは、作詞をしている理姫さんの心情を推測したり、意図を予想したりするものではありません。あくまで私個人の拙い感想文だとご理解いただいたうえで、お読みください。
M1「終電」
アカシックに限定せず、1曲目が良いアルバムは間違いなく名盤ではないでしょうか。
初戦にして決戦になる可能性が高い位置にあるゆえ、勝敗はここに委ねられていると言っても過言ではありません。聴く人の心に止めを刺す曲であり、バンドの名刺になる曲。けれども、1曲目だけが名曲であるにもかかわらず、それ以降の曲が「期待外れ」という訳にもいかないというプレッシャーもかかります。
M1「終電」はそのすべての条件を満たす冒頭にしてクライマックスの曲です。しかも、それがバンドにとって初めての全国流通盤。尖がってない訳ないじゃん。必死さが音になって言葉を背負っているからこそ憎いほど格好良い。
「線路に寝かされるような気分」
「あの子と喧嘩したい」
とトリッキーな歌詞が散らばっていることが目立つ曲ですが、突如このフレーズが私たちの核心を突きます。
「また一人残念賞みたいになっちゃって
どうなってんだ」
恋が空回りに終わるとき、孤独に締め付けられるとき、自分だけが浮かばれないような気分に陥るとき、あの虚しさが「残念賞」という言葉になって可視化されています。惨め。でも、惨めならもう辞めちゃえ、と切り離せない感情。ああ、この歌詞を作詞した理姫さんの才能に「どうなってんだ」と問い質したい。
M2「ツイニ―ヨコハマ」
関係が始まるときは、思ったよりも騒がしくない。これが恋だと決めるのは自分であり、相手である。でも、なんか不安。まだあなたに突っ走るほどじゃないの。
深夜二時の横浜で、もっと二人に確信を得たい。
そんな夢現に浸かる直前の密やかな恋の兆しを、M2「ツイニ―ヨコハマ」が、妖しく、美しく描き出しています。20歳超えたらこんな恋の始め方したいですね。(と書いている私はもう新たに恋をすることもない年齢ですけど。)
M3「好き嫌い」
気怠さを歌詞にさせたら群を抜いている理姫さん。
近代史にちなんだ意味があるようでないようなフレーズの合間に、「最近ちょっとつまんない」など、駄々をこねるように入り込む本音。恋愛ソングといえば「好き好き!大好き!」「好きだけどバイバイ!」の2つが寡占産業状態ですが、刺激に飢えている名前のない恋の暇に歌詞をあてがうことで、アルバム全体に現実味が帯びます。
M4「秘密のデート」
怒ったり、悲しかったり、うまくいかなかったりするときっていっそ笑いがこみ上げてきませんか?やけくそになって狂ったようになりませんか?冷静になってからすっごい後悔するんですけど。
そのダイナミックでヒステリックな気持ちがそのまま曲になったようなM4「秘密のデート」。猟奇的な歌詞に聞こえるんですけど、なんか寂しい読後気分になります。無理やりテンションあげちゃった夜みたいな。「朝が怖い」という描写で吐露される弱音。
M5「幸せじゃないから死ねない」
パワーワードがそのまま歌詞になったよう。
絶望を映像化したような情景とナイフで刻まれるような痛々しい感情表現が続くのですが、なにせこの歌詞の中の女は「幸せじゃないから死ねない」んですよ。これ、何気に恐ろしい宣言じゃないですか?
「死にたい(くらい辛い、悲しい、好き)」はあっても、「死ねない」はなかなか言えない気がします。女として、人として、幸せに枯渇しているという絶望の極み。
そして幸せじゃないことに気づいているのに、「死ねない」。幸せに、生きることに執着しているのです。それもまた絶望の極み。この曲を書いたバンドが、数年後にポップさに磨きをかけて進化していく驚きも含めて、必聴の価値ありすぎ。
M6「有楽」
「秘密のデート」に続く狂気があふれているM6「有楽」。でもちょっと、「しらけてる」。歌詞も声もそういう感情出すことに卓越している。
「相談されても困る」
「遭難されても困る」
この2つのフレーズが対句になっているの、憎い。夜の街は誰もが迷い人のように、愚痴ったり、くだを巻いたり、なんだか急に冷めてしまったり。淡々と整理しきれない人間の性(サガ)みたいなものが露骨に現れた歌です。なのに、ちょっとお茶目。
M7「プラチナ文明共創」
M7「プラチナ文明共創」の奇妙さは、一見今のアカシックからは一番想像つかない。散りばめられた呪文のようなフレーズたち。ところどころ解析不能。なのに、「あんたしか要らないの」という大胆な攻め。すべてはこの一途さを煙に巻くためのトリックだったのかもしれない。他にも、本音をぶちまけるビンタのような言葉がぎゅうぎゅう。こういう恋仲の人に矢継ぎ早に問い詰めるような態度が、若さであり情熱って感じ。初期アカシックだからこその勝負曲という印象です。ストレンジに見せかけたストレート。
M8「ロマンス」
クライマックスは二度くる。話題になった「カメラを止めるな!」という映画みたいなこと言いました。今夜地上波らしいですね。あ、私はM8「ロマンス」の話をします。ドキュメンタリー映画は突如、M1「終電」の世界に引き戻されます。絶望が循環するという恐ろしい終わり方。ラストナンバーを不穏な空気と報われない焦燥で終わらせるというセンスの暴力。幸福の方向に転じない結末に、このアルバムの生々しさがよく表れています。
女を縛り付けるもの
「コンサバティブ」で描かれるのは、一見奇抜で近寄りがたい女性のように思えます。「キャバクラ嬢でもないから」(M5)と弁明するくらいなので。けれども、一貫しているのは常に幸せを願って生きている執念深い姿勢なんです。
たとえば、「灰皿作ろう」(M1)なんて歌詞があるんですけど。禁煙を覚悟して灰皿まで捨てた努力とうまくいかなくて諦めた空虚さが垣間見えるんです。
他にも、
「午前四時半に内緒よ
こっそりばれずにこっちにそっと来て欲しい
素面で」(M7「プラチナ文明共創」)
というフレーズには、「午前四時半」の非日常性と、「素面」という本気を要求する気持ちが混ざり合っています。
幸せになりたい。デートもしたい。結婚もしたい。だからこそ、自分を曲げることもある。でも、失敗する。恋愛に束縛されなければ、もっと自由なのに。自由をねじ伏せてでも相手を求める。すると、生き方が矛盾する。行動と言動が矛盾する。報われない。
ジャケットの女性は、奇抜な風貌で、色気を醸していて、鋭利なくらい自己を主張しています。なのに、まるで「運命の糸」のような赤い縄に束縛されて、動けないままです。
もっと自分らしさのために生きていこうと足掻くと、赤い糸をちぎることになる。
この拘束を受けたまま愛のために生きていこうとすれば、未来を犠牲にする。
相反する自分の願いが足枷になってしまうような現状が、「コンサバティブ」、つまり変えられない私の暗喩なのではないかと、私はふと考えてしまうのです。
私が考えてしまうだけなんですけどね。正解はわかりません!
あなたなりの正解を見つけに、ぜひとも聴いてみてください。
追伸
ここまでお読みいただいて、誠にありがとうございます。
私は自分を評価してもらうためにこの記事を書いていません。アカシックが少しでも今より有名になればいいなと願っています。
なので、このブログにコメント欄はありません。ぜひとも、お気に召していただけましたら、あなたご自身のSNSやブログでアカシックをご紹介する材料の一つとして拡散してくださいますと嬉しい限りです。Twitterも、いいねと同時にRTしてくださるとこれ幸いです。
月野にこ
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